12/24/2012

このたびの衆院選に関する雑記

12月16日は、衆議院選挙だった。
私のTwitterのTL(タイムライン)上では少なくとも盛り上がっていて、「は?選挙行かないって選択肢あるの?」くらいの勢いがあった。
私たち家族は17日からのグアム旅行で浮足立ってはいたけれど、午前中、あのぽかぽか陽気の中、小学校まで出向いて投票を済ませた。今まで見たことのない長蛇の列で、はー、やっぱり今回は注目されているんだ、とのん気に考えていた。
しかし、ふたを開けてみれば、投票率は戦後最低の59.32%だという。

そうか、私のTLはまったく一般的ではなかったのだ。

それでも、このたびの選挙に向けて、私もそれなりにいろいろ調べてみてわかったこともたくさんあった。
SNSではかなり話題になっていた記事の中でも、私が印象に残った記事を、ブックマーク的にあげておく。

特別寄稿・江川紹子  選挙後に「こんなはずでは」と言わないために 五感のフル稼働を  <衆院選・特別コラム>(gooニュース) - goo ニュース
今の日本が抱えている困難な課題は、様々な 要因や問題が組み合わさった複雑なものだ。だから、解決が難しい。なのに、それを単純化したり一つの視点だけで評価したりして、「こうすればいい」とシンプルな解決法を提示してみせる物言いを見聞きすると、私は「ちょっと待って」と言いたくなる。
(中略)
今の悪循環を劇的に変え、景気をよくし、財政赤字を改善し、年金や医療の水準を維持しようとするための特効薬などない。

「福島は終わった」と外からがっかりする身勝手 世界はそう簡単に終わらない (安積咲)<衆院選・特別コラム>(gooニュース) - goo ニュース
報道やインターネットの一部では、福島県でのこの結果を嘆く声が多く見受けられました。「福島県民にはがっかりした」「福島は終わった」といった発言や、更に見苦しい明らかな軽蔑の言葉までもありました。
(中略)
選挙の結果が地元の声の全てだと言うつもりはありませんが、なぜそんな結果になったかをまず、考えて頂きたかった。その選択をした人々が、今、何を望んでいるのかを。それが「地元の声を聞く」事ではないでしょうか。それをせずに絶望感に浸る人は、結局被災地に暮らす人の気持ちを見ようとはしなかったのだな、と私は思います。
(中略)
選挙結果が自分にとって思わしくなく、例えば脱原発を求める自分の欲求が即時に満たされない結果であったとしても、すぐに全てを投げ出して「もうだめだ」と口にする事は、より凄絶な現場で絶望と戦いながらここまで暮らしを支えてきた人たちに対して失礼だとは思いませんか。

私は恥ずかしながら知らなかったのだけれど、落選した議員の中には簡単に「福島に絶望した」ような発言をした人がいたらしい。「絶望」なんて選挙に落選したくらいで使わないでくれ。


こちらは、ちょっとおもしろいアプローチだなと思った記事。
実際ブログの分析内容を読んでみることをお薦めします。

【案外少人数】『若い人が投票に行けば世の中変る』と言われるけど、本当に変るのか計算してみた【友達一人でおk】: 【National INtelligence agency of JApan(NINJA)】日本情報分析局
若者の投票率がほんの少しだけ増加し、投票率が平均レベルになっただけで、若者の投票は働組合や宗教団体に匹敵する影響力を持てるのです。

それから、職業としての「政治家」に関するツイート。なるほどな、と思った次第。

さらに、息子が待機児童と言うことで、この機会に保育問題について改めて調べてみたところ、とてもわかりやすい記事を発見した。
古い記事だけれど、とても分かりやすくて良い記事だと思う。

ミネラルウォーターと保育園  - SYNODOS JOURNAL(シノドス・ジャーナル) - 朝日新聞社(WEBRONZA)
利権は怖い。
自民党が政権を取った今、待機児童問題も少子化問題もどうにもならないような気がしてならない。

最後に、希望ある記事を一つ。
「わたしたち」を主語に | 乙武洋匡オフィシャルサイト
日本はよくなるか――
(中略)
僕なら「良くする」と答える。「良くなる」でも、「悪くなる」でもなく、「良くする」。だれかが――ではなく、僕が、僕らが、この社会を、この国を良くしていくのだ。

先生らしい、とても希望のある文章だ。全文通して読むと、じわじわ心に沁みてくる。
未来は自分のものだ。
それこそ、絶望なんてしていられない。
生きている限り、明日はやってくるのだ。
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